モーション・グリーン

読破本・特撮(仮面ライダー)・アニメを取り上げるブログです。

仮面ライダーカブト 雑記 個と集

 7話から続く、個と集のテーマ。   言うまでもないのですが日常の世界に対しても、この関係については考えなければいけません。そうでなくても今は個の時代といわれているわけですし・・・

 「個」については、天道達の関係と成長(?)の中で色々出てくると思うので、ここでは「集」とは何か、7話から9話を中心にして、考えてみたいと思います。

 ◎パーフェクトハーモニー  9話で迷走し、暴走してついにはザビーの資格を失った矢車ですが、そもそも「パーフェクトハーモニー」とは何だったのか(なぜ過去形?)。  これは8話の影山の加賀美に対してのセリフが全てじゃないかと私は考えてます。  「シャドウはスタンドプレーを許さない」「常にチーム全体を見渡して行動する」「力を合わせることで、1の力を2にも3にも、10以上の力さえ出すことができる」 改めて見ると、9話の矢車って全てこのセリフに反しているんですね(哀)    彼らシャドウは1人ではワームに対抗できない。だからチームプレーで戦う。  銃撃で寄せ付けず、包囲を心がける集団戦法。彼らが精鋭と呼ばれるのは、1人1人の能力はもちろんのこと、その洗練されたチームワークにあるのです。  そして彼らをまとめる矢車。彼がシャドウのメンバーに慕われていたのは、完全調和を彼自身が実践していたから。  しかし、8~9話のように、実は矢車は“1人”でした。ザビーの力がある故か、それとも己の自信の表れか、矢車個人に勝る力の持ち主が現れたとき、彼は集ではなく個で立ち向かっていったのです。  長くなってしまいましたが、つまり矢車は、彼が唱う「集」の力でカブトについぞ立ち向かわなかった(強いて言えば1stバトルくらい)。影山の言う「力を合わせることで、1の力を2にも3にも、10以上の力さえ出すことができる」ことを彼は(気付かぬうちに)放棄していたということ。  このことは、私たちも考えなくてはならないことだと思います。「集」の中にはいる。でも、いざ何かを行う場合、そして何かに直面した場合、私たちは「集」でいるでしょうか?気付かぬうちに「個」でいないでしょうか?  理由もわからないまま、私たちは得られたはずの何かを掴み損なっているかもしれません・・・

 ちなみに、当の矢車役の徳山さんですが、公式ブログ徳山秀典は・・・が、めちゃめちゃおもしろいです。矢車に対する想いや今後の矢車について、感想やシャドウの隊員募集(!)など、おちゃめな記事を更新していて見応えあります(余談ですが、徳山さんて、GTOの生徒の1人だったんですね。あの1話から出てきたヤンキーだったんだあ)。  7・8話でザビー短命予想をしてしまった私ですが、ザビーはともかくとして(おい)、矢車には最後までがんばってほしい方です。今挫折の中にいる矢車がもう一度はい上がり、「集」の矢車として、「個」の天道と、終わらない価値観の戦いをしてほしい。がむしゃらに、みんなのために体を張った加賀美が奇跡が起こせるのも、人が「集」の中でこそ新たな可能性を引き出せることの証なのだから・・・