モーション・グリーン

ブログ開設14年目!今年も「紡ぐ」発信を目指す読書・アニメ・特撮感想ブログ。

北方水滸伝 名言集5

「命の終わり方は、望んで望めるものではありませんぞ、御母堂。思いとはまったく別のものが、終わり方を決めてくれます。その命をどう生きたかを誰かが見ているのだろう、と私には思えてならないのです。」

                                                                  魯智深

  旅の途中、宿を請うた家で、魯智深は1人の老婆と出会った。梁山湖ぞいにあるその家で、老婆は、近いうちに訪れる死を待っていた。死の病に冒されるまで暮らしていた場所で死にたかった、と語る老婆に魯智深がかけた言葉が上記のもの。  人は生まれる場所を選べない、親も家庭も。でも、もしかしたら、死の終わり方すら選べないのかもしれない。場所、時間、モノ。ままならない運命は、始まりも、終わりも変わらない。    ここで終わりたい、この時に旅立ちたい。そんな希望を、残り時間が見えてくると人は願うのだろうか。それが叶わないことは、不幸なことなのだろうか。    魯智深は語りかける。  貴方の終わり方は、貴方が決定権を持っているわけではない。思いとは別の何かが決めてくれる。そして決められた終わり方に従うことは、不幸せを意味しない。  かつての家で1人静かに生涯を終えたかった老婆。しかし、息子達は老婆を放っておかなかった。最後まで面倒を見ようとする子どもたち、それは老婆の人生が老婆だけのものではないことを意味していた。それは、老婆の意志とは違った形かもしれないが、幸せなことなのだ。そして老婆の生き様を、最期を誰かが見てくれることも幸せなことなのだ。  老婆の息子は言った。役人のためには生きられないが、母のためなら生きられる、と。      おそらく、この言葉の意味をぼくが理解するのは相当後のことだろう、と思っています。でも、関係ない・先の話と片づけてしまっていい言葉ではない、と思い、この言葉を残そうと思います。

 息子達に囲まれながら終わりを迎えられることは、幸せなことかもしれないが、一方で生きて欲しい人が永らえない現実は、理不尽なのかもしれない。魯智深は思った。この世の死のほとんどは理不尽なのだ、と。

 老婆が、阮三兄弟の母であることを、魯智深はこの後知ることになる。そして三兄弟は母の生き様を心に刻む。

 水滸伝(1(曙光の章))