モーション・グリーン

ブログ開設14年目!今年も「紡ぐ」発信を目指す読書・アニメ・特撮感想ブログ。

北方水滸伝 名言集8

  耳もとの呻きは、感情を逆立てる。遠い呻きは、心の底に響く

                                                                                                            晁蓋

 鮑旭を王進に預け、魯智深は子午山を後にする。道中で、魯智深は以前宋江の紹介で出会った男、晁蓋と再会する。武に優れ、常に気を漲せた、希にみるカリスマの持ち主。初対面の時同様、圧倒されるようなものを感じながらも、魯智深は再会を喜ぶ。

 供に、闇塩の運搬を担っている阮小五、そして村で私塾を開いている呉用を従え、晁蓋は、密かに、しかし確実に動き出していた。そんな晁蓋に、魯智深は、合流する予定だった同志・武松を引き合わせることにした。

 

 魯智深同様、宋江の同志として各地を歩き回り、同志を募る活動を続けている武松。だが、彼の心は、行動による充実感とは別に、孤独な苦しさを抱えていた。武松と出会い、それを感じ取った晁蓋は、武松に語りかける。 「私も若いころ、真直ぐな思いを心に抱いて、それをどこに持っていけばいいのか、いつも苦しんだ」「いつか時は来る、と信じるのだ」 晁蓋は、言葉だけではなく、心で寄り添うようにして武松に語りかける。武松が旅を通して何を得て、何に迷っているのかを共有するために・・・  そんな会話の中で、晁蓋が武松に語りかけた言葉が、今回の名言だ。  

 今回の名言が出る前、2人(といっても周りには魯智深呉用・阮小五に、裁判所書記官の裴宣がいるが)はこんな会話をしている。 「俺は、何かを見続けてきました。この国の民の間にです。いや、聞いていたのかな。呻きとか、声にならない声とか」 「それが、お前を大きくしてきたはずだ、武松。人の声を、ただのさんざめきではなく、呻きとして聞けるようになった」  その呻きを、武松は遠い呻きと言った。それに対して、晁蓋は武松の感じたものを認め、今回の名言を言っている。武松の旅が、見て聞いて感じたものは間違ってはいないことを認め、さらなる奮起を促したのだ。

 

 今回の言葉を名言としたのは、無論迷いを肯定し、行ってきたことを認めた晁蓋の器量の大きさや話し方、納得のさせ方に感銘を覚えたこともあるが、それより重要視したのは、武松と晁蓋の目線の置き方、現代風に言うと『問題意識を持った見方を持つことの重要性』である。

 

 晁蓋の言う〈耳元の呻き〉これは、目先の問題を示していると私は考える。つまり、目の前の不正・盗賊の横行・賄賂に代表される、政治の乱れである。確かにこれらの問題は関わった人々からすれば大問題であろう、生活・ひいては生命に関わる問題だからだ。しかし、1つの不正・1つの盗賊・1つの賄賂を正せばいいのだろうか?目の前の問題を屈服させれば、それでいいのだろうか?  晁蓋はそれに対し、「否」と答えた。〈感情を逆立てる〉つまり、新たな怒りや憎しみ、更なる力による抑圧を呼び込むことになる、と。

 以前にも少し触れたが、苦しいのは民だけではない。下級の役人も己の生活を守るために必死なのだ。守るためには上の役人へ手を汚してでも守ってもらわねばならない、そういう暗黙の仕組みが、この国には根付いてしまっているのだ。その上の役人もまた、さらにその上の役人もまた、同じような状況の中で、上へ上へと、負の連鎖をつなげ続けている。そしてそのしわ寄せは、弱きものへ積み重なっていく。

 

 何を変えればいいのか、どこに目を向ければいいのか。

 武松は旅の中で〈呻き〉〈声にならない声〉を聞いた。それは、声にならない願い、いや、声に出さずとも通じ合う想い。本当の救いは、この世の仕組みを変えることではないのか。苦しむ弱者の声が届く世界を作ることではないのか。ならば、根源は何か、根本はどこか。

 そこへ、目が、耳が向いた時。本当の敵、真の相手が見えてくる。

 私たちはしばしば、向き合うべき相手を避け、戦うべき相手を見誤る。それは、常に根っこを見定める視点・感覚が欠けているからではないだろうか。それをもう一度見定める必要を迫られている、そんな気がしている。

 私たちは〈呻き〉が聞こえているのだろうか。  〈声にならない声〉を感じ取れているのだろうか。