タイトルが衝撃を放つ1冊。
普通、歴史の研究には史実が欠かせない。
しかし、それは“史実”が信用できる場合の話しだ。
“史実”は、改ざんされて(もしくは歪められて)いる可能性がある。
古代は事実を記した記述がどこまで存在しているのか、わからないことが多い。
なにせ『記録』という概念が薄い。
作り上げられたことが多く含まれていてもおかしくはない。
思い込みをしないようにして、残された文書に目を向ける。
すると、本書のような仮説は十分成立するようだ。
聖徳太子は、歴史上の勝者によって、都合の良い筋書を作り上げるために、生み出された存在、かもしれない。
もっとも、本書は物語仕立てで構成されすぎていて、果たして実態に合っているのかどうか、読者が確認しづらいのが難点だが・・・
果たして、古代は僕らの知っている“通説”がどこまで史実との整合性があるのか。
今と感覚や認識が違うことを忘れないようにしつつ、真相を追っていきたい。