歴史を知るというのは、結果を知るということだ。
その者が偉人だったのか、愚者だったのか、後世に生きる我々は、結果を知っている。だから、その事実が間違いではない限り、我々の基準が変わらない限り、偉人は偉人。愚者は愚者のままだ。
自然と、偉人は偉人として、愚者は愚者として、我々は“彼ら”を認識する。
それを前提として、様々な作品や研究の中で、“彼ら”は形作らていく。
歴史小説を読んでいくと、愚者としてインプットされている人物はたくさんいる。
だいたい偉人(物語の主人公)の敵方にして、やられ役として登場し、その役割を果たしていく。
そして、時々違和感を抱く。
そして思う。
「彼らは、自分を愚者だと思って生きていたわけではないだろうに」と。
今を生きる私たちだって、いつか“歴史”になる。
その中で後世、愚者、として評価されたとしても、今このとき、愚者、と自己認識して生きてはいない。英雄、と評価される、と予言してもいない。
今、この時を生きている、それだけのはずだ。
本作の主人公・朝倉義景だって、後世これだけ愚者扱いされると知って、生き抜いたわけではないはずだ。後世の我々が、結果を前提にして、そう評価しただけなのだ。
彼らを知るならば、一度その評価を取っ払う必要があるのではないか。
ただ、その人の行動や心理を知る。
例えその実態が、どれだけ変人だったとしても。
愚者・愚将としてその名を残してしまった朝倉義景を、歴史小説作家・吉川永青さんが、ただありのまま描いたのが本作『奪うは我なり』。
彼を美化せず、体裁を整えず、ただただ、その生き様を描いた1冊だ。
結論から言えば、義景はどこか変人で、狂人で、やはり小さい人間だった。
ひょんなことから目覚めた自らの謀略の才で、様々な敵を手玉にとった。
敵だけではなく味方をも欺き、目の前の相手が焦り、戸惑う姿に喜んだ。
だが、思い通りにならない世界に苛立ち、まだ見ぬ最大の敵、織田信長に恐怖した。
最期はその信長に追い詰められ、憎しみと悲しみの中で自らの生涯を閉じた。
信長と自分が同類という、一方的なシンパシーを感じながら。
吉川さんは戯史三國志 我が糸は誰を操る (講談社文庫)以来、ずっと作品を追いかけてきたのだが、本作はそれ以来の当たり作のような気がする。
決して好きになれそうもない(苦笑)義景への、のめり込むような描写は、著者だけが出来る、義景への愛情だったのかもしれない。
本作では、視点として描かれるのは朝倉と浅井のみ。
結局最大の敵・信長はその動きが伝えられるだけ。
不気味と感じる義景の感覚は、読んでいる読者にも乗り移るようだった。
まさに見えない恐怖。
そう
私たちも、信長を知らない。