千家再興 (中公文庫)の続編。
実は前作の中で、利休死後の千家についての結末は既に描かれている。
だが、それはあくまでエピローグとしてで、詳細は書かれていない。
本作はそのエキローグをより詳細に描いた一作。
利休死後、千家はいかにして再興し、現在につながる三家(三千院・表・裏)を作っていったのか。
利休死後、千家の子たちの冬の時代がやってくる。
特に、後継者とされた宋旦には、それまでの半生からは想像もできなかった “脱輪” が待ち構えていた。
※実は、宋旦の生涯には不可思議な経歴がある。著者はそれを独自の解釈で埋めあわせることで、その後の千家に連なる苦難と飛躍の物語を演出している。気になる方は一読いただきたい。
千家の再興を夢見る者たちは、その生涯をかけて、利休の死に向き合わなければならなかった。
利休を継ぐ者、とされてきた古田織部の死も、利休と同じ流れを汲んでしまい、難問はより大きな命題となっていく。
なぜ利休や織部は。権力によって死ななければならなかったのか。
利休の弟子達の尽力により千家の復権は実現した。
しかし、“利休を継ぐ”ことは、果たされなかった。
父・小庵と伯父・道安、母・お亀の願いは、後継者・宋旦に託される。
だが、戦国時代が終わり、江戸時代が到来。
太平の世へと時代が変わり、宋旦の家庭はもろくも崩れさり、茶の他流派が栄えていく。
生活は困窮し、「乞食」と揶揄される日々。
それでも、宋旦は利休を継ごうとする。
より内面へ内面へ、己を追い込んでいく。
そして皮肉にも、“天下一”から下り、技へ注力したことで、千家の茶は、利休の目指した色を出し始めるのだ。
権力の茶、から、心の茶へ
宋旦がたどり着いた境地は、ライバルにより、「侘び」の境地になっていく。
「侘びかどうかは、本人しか決められない」
その人だけが表現できる境地、それが「侘び」
それは唯一無二。
だから、決める(認めてくれる)人がいて、初めて「侘び」は成立する。
物語の終盤、後継者・宋旦とそのライバル達は、お互いを認め合うことによって、茶の湯を純粋な思いの中で大成していく。
利休が、表現者として、永遠の存在になった瞬間でもあったのかもしれない。
思った以上に波瀾万丈だった千家再興の道。
それは、相手を蹴落としたり、足を引っ張り合っていては、決してたどり着かなかった。
大切なのは、同業排除じゃ無く相互理解。
どことなく、現代にも通じる教訓がこめられた1冊だ。