最近、『バガボンド』を思い出す。
どれだけ戦っても強くなっても満たされない。
いや、むしろ、突きつけられる、「天下無双」への遠さ。
作品後半になって何度も出てくる「自分」という概念。
変わろうとして、何度か霧消するのに、また沸いてきて自分を覆い尽くす。
「天下無双とは、ただの言葉」
「力を抜いて、体の声に身を任せよ」
「自分につきまとうのは、どこまで行っても、自分、自分」
休載に入って久しい。
もしかしたらもう続きは読めないのかもしれない、とも最近思う。
それでもなお、道半ばの武蔵の胸中を、ページを閉じても思い描き続ける。
最新刊が出て数年。
今になって、武蔵が感じたことが理解できるようになってきた気がする。
でも、あのとき感じた「人生への問い」はまだ答えが出ていない。
もし、強さがいつまでもわからないなら、答えがないのだとしたら。
自分は何を道しるべにして、生きていけばいいのだろうか。
武蔵すら悩んでいた。
あそこまで修練していたのに。
自分は、どうだ。
まもなく平成が終わろうとしている。
働き方も、生き方もいろんな道が提示されるようになってきた。
でも、自分は変われていない。
選ぶことも進むことも出来ていない。
そんなときに、この本に出会った。
どこか日々に満足できないなら
まだ見ぬ不安が胸をよぎるなら
今、そしてこの先の自分に自信が持てないなら
本書は迷わず読むべき1冊だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 猫と会話できる奇妙なスキルを持つ主人公・勝軒。
ある日、部屋に居座るネズミを追い出そうと猫に依頼するが、逆に傷つけられ追い返されることに。
困難なミッションになるな、と思った彼は様々な猫に依頼する。
・技に秀でた猫
・武に秀でた猫
・気の逸らし方に秀でた猫
だが、様々なスキルを持つ猫たちはことごとく失敗する。
窮した彼と猫たちは、「武神」と噂の古猫に強力を依頼する。
一件弱そうな古猫だったが、いともあっさりネズミを追い出すことに成功。
驚いた一堂は古猫に教えを請う。
聞かれた古猫は告げた。
「おぬし達は本当の道理を知らない」
果たして「本当の道理」とは?
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原典は江戸時代に書かれたものだが、僕たちの勘違いをこの本を通じて気付かせてくれるはずだ。
数々のスキルを持っていても、満たされないのはなぜか。
己を鍛えても、幸せになれないのはなぜか。
ある場所で活躍できても、場所や環境が変わったら気が滅入ってしまうのはなぜか。
色々なケースに対応しようと型を作りすぎた僕たちは、いつしか、その型から抜け出せなくなっている。
手段が目的にすり替わっていると知らずに、他人のせい、社会のせいにして、負のエネルギーを巻き散らかす。
大事なのは、根底にあるもの。
それが掴めると、目の前の状況に対して自然と対応できるようになる。
読み終えて、なんだか大きなものを魅せてもらった気になる。
そして、少し目線が上がった気がする。
※ちなみに難しい単語や禅問答のような話があるので、理解しづらいところもあるだろうけど、本著はもっと難しい(苦笑)
そう、1日1日が満たされるためにすることは、目の前の景色を決めつけないこと。
もし目の前の景色や風景がキレイではないと思ったのなら、それは、あなたの心がキレイじゃないからだ。
そんなことを、"武神"は伝えてくれる。
そして、本書ラストで再びネズミが現れ、部屋の隅に居座る。
果たして勝軒は、教えを活かすことができるのか?
驚きの結末も本書の楽しみの一つだ。