再読。
やはりおもしろい。
歴史上の著名人物が、大いなる意志によって、生き様どころか役割すら定められ、翻弄されていく。
これ、落ち着いて考えてみると、歴史小説家にとって、しんどいコンセプトではなかったか。
極端な話し、どうがんばっても変わらない結末にしか向かわない物語を書くしかないのだから(しかも史実じゃない形で)
しかし、かすかな足掻きや、ささやかな抵抗で、彼らは今を懸命に生きようとする。
僕らが読まなきゃいけないのは、結末ではなく、その過程。
生きた証が傷跡となって歴史が紡がれ、今がある。
それを僕たちは歴史と呼び、刻んだ者たちを英雄、と呼ぶのだろう。
一風変わった作品だからこそ、その意義が一層現れている。
この「螺旋」プロジェクトという世界の中で、彼らのあがきは本当に無駄だったのか? それは、他の作品での結末に期待するしかない。
つまり、沼に足を踏み入れるしかないということだな(笑)
海と山、因果を管理する一族の話が時代を経るごとに具体性を持って伝わってくる様や、平家長の一族が楠木につながり、そして鬼仙島へつながっていく見事なつながりなど、ダイナミックな展開はかつてないほどの大河感。
なかなか味わえないこの連なり、是非読んで感じたもらいたいなあ。
以下、本作で取り上げられている人物の章を簡単にご紹介。
・平将門
もののふの始まり、ということで実質導入パート。
将門ファンの方にとっては物足りないだろうなあ。
でも、僕の中の将門像って今回の作品に近い。
戦歴追ってみても武士の今後や自分の理想に関する具体像は乏しかった(北方御大風に言えば、国家感がなかった)
しかし、誰もやっていないことをやろうとしたのだ。
立ち上がったことそのものに意味があった。
少なくても、大いなる意志が存在しなくても、将門の功績は、次につながっていったはずだ。
・源頼朝
行動の原点が政子じゃなくて、前妻と息子にある、ってところが渋い。
そして
武士の意志としての飾り
大いなる意志に動かされているという飾り
二つの「飾り」として生かされている、悲しい存在。
その立ち位置が切ない。
だからこそ、悲劇の弟・義経は利用されたんじゃなく”託された”という構成が秀逸すぎる。
これすら筋書き通りだったとしても、このバトンに、泥臭い足掻きの魂が宿っていると思いたい。
・平教経
この後何度も出てくる海と山、二つの民が交差する最初のお話。
教経という題材も渋いが、平家長が忍びの系列に連なっていく、という構想がすばらしい。
通史作品ならではのダイナミックさがある。
そして、彼が頼朝の最大の理解者になるラストが、ハードボイルドだ。
・楠木正成、足利尊氏
今室町時代が脚光を浴びているが、この二人をどう描くかというのはやはり難しいのだと思う。
天野さんのすばらしさは、山と海、二つの民の宿命でこの二人を描かなかったこと。 (もちろん根底にはその因果の筋書きがあるのだけど)
正成の絶望は、やはり彼が実感したこと。
尊氏の決意は、彼が選んだこと。
それを見守る佐々木道誉。やはりお前は・・・
・足利義満
ここまで読むと、義満の結末が見えてきてしまう(笑)
いや、むしろ、この作品の通史上、この男ほど大いなる意思で消しやすい人物はいない。
ここまでの英傑の足掻きからすると、コイツは始末されても仕方がなく見えてしまうのはなぜだろう(涙)
・明智光秀
ここから、ひねりが加えられる。
光秀の意志に、なんと応えが戻ってくるとは・・・
そして、光秀=天海がこんなにピッタリとハマるなんんて。
この説、この作品のためにあったんじゃないか、と思えるほど。
・徳川家康
家康のトラウマ、信康と築山殿をこういう形で描いてくるとは・・・
頼朝が救えなかった後悔であれば、家康は切り捨ててしまった後悔。
切り分けが上手すぎる。
・大塩格之助
キラーパーソン登場。
平八郎の傀儡ぶりが悲しいけど、ここまでの英雄達もホントはこんな感じなんだよな。 むしろ平八郎の叫びが、普通の反応。
そして、この事件自体は二つの民の輪廻が見られる事項としては小さい。
しかしここから鬼仙島への道が開かれる、重要な導入になっていく。
日本から離れた離れ小島かと思ったら瀬戸内海、結構近いところにあったのね(笑)
・土方歳三
ある意味、この人もいい意味でひねりがきいた結末。
海、山、どちらでもない民の存在って、どういう立ち位置なのか気になるパートでもある。
この後の西郷と比べると、この人の方がラストにふさわしい気がするのだが・・・
・西郷隆盛
そして幕引きがこの方。
正直、もののふの物語としては、この方の描写は消化不良が否めない。
それは、西郷が、本当の駒扱いされているから。
まあ、大いなる因果の物語としては、ふさわしいラストかもしれないけど。