5月に単行本として発売される作品が『小説現代』でまるまる掲載。
表紙にもどばーーーんと掲載されており、今号の目玉なことは間違いない。
題材は松永久秀。
しかも描くのは今村翔吾さん。
『戦国の教科書』でも久秀を描いており、その時点で松永久秀のスタンダードになる気配漂わせていた。
その今村さんが、改めて松永久秀の一代記を描いたとあれば読まない理由なし。
読んで見ると、異世界の魔物を見たかのような緊張感と興奮が続く。
結末がわかっているけど、そのプロセスに絶対カタルシスが潜んでいるに違いないと思い、最後の最後まで神経ヒリヒリ状態のまま読んだ。
すげえ、大作だわ!
今後の松永久秀題材の作品は、きっとこれと比較され続けるに違いない。
それだけのエネルギーと深み、何より久秀の“人”としての生き様が底光りしていて、折に触れて何度でも読みたい1冊になっている。
例え雑誌で読んだとしても、単行本を買うべき作品だ。
出生も半生も謎に包まれている久秀。
それを変にぼやかすことなく、生涯を大胆に創り上げ、乱世の申し子のごとき“哲学者”として描くというその切り口が、とんでもないバケモノを見てしまったかのような緊張感を読み手に突きつける。
夜盗から始まり、寄り添いあう仲間と集団となり、失い、夢を持ち、文化に触れ、生涯のテーマを得て世界と対する。
まるで少年マンガの主人公のような飛躍の裏で、思い通りにいかない不条理や理不尽、さらには、“見えざる手”が久秀らに次々と襲いかかり、ひとつ、またひとつと綻びが生まれて、いつしか目の前は切なさに彩られていく。
それでも、あがく久秀の目の前には、あの織田信長が・・・
今村作品、最近読む機会が増えたのだけど、テーマや事件・出来事を深めようとすると、かなり飛躍したところへ進んでしまい「?」となることがある。
だか、人にフォーカスしてとことん深掘りすると、とてつもない拡がりと不変のテーマに形を変え、“戦国の梟雄”に新たな命が宿った。
人としての大きな命題を久秀に託した、その鉄腕ぶりに脱帽の一言。
もはや歴史小説というより哲学書を読んでいるかのようだ。
ちなみに、タイトルの『じんかん』 漢字にすると『人間』
松永弾正久秀の往年のイメージからほど遠いこの「?」なタイトルに、テーマの全てが凝縮されている。
序盤に登場する“多聞丸”への予想を覆す展開や、最初から張られていた伏線を全回収する見事すぎる構成も魅力。
令和に新たな“化け物”誕生。
2020年、またしてもすげえ作品に出会うことができた。