8年近く前の本。
だけど、巷で言われている「コミュニケーション能力」の必要性、そして実際の対策が実態と乖離しているという、本書の指摘は今なお全く変わることなく残ってしまっている。
もし、今、「コミュニケーション能力」という言葉に違和感を覚えている方がいたら、その答えを、本書は示してくれているかもしれない。
“みんなちがって、みんないい”
じゃなくて
“みんなちがって、たいへんだ”
本書で示された強烈なフレーズが、まさにこの問題の根底を示している。
“みんないい”がつながりあえることが前提にある「逆算思考」”ならば
“たいへんだ”は混じり合わないことを前提にした「混沌思考」に近い。
でも、そこから始めないといけない。
もはや、予定調和な結末など存在しない。
答えは誰も知らないのだから。
本書で紹介されている学校での教育(授業)実態を見れば、行われているのは子供達の「型填め」で、想定反駁ができる人間がどんどん生まれていくことを実感する。
相手も、自分も、変わっていく存在だというのに。
刻々と変化する関係作りをお互い作り上げていく。
その先にしか、深いつながりは生まれない。
多様な人を受け入れられる居場所(コミュニティ)を作ることももちろん大事だけど、そこでしか自分が見いだせない、ということでは硬直・保守的な空間となりかねない。
排他的な雰囲気を醸し出していては本末転倒だ。
本書では演劇による授業展開が紹介されており、役設定を自然と作り上げていく過程における「文脈を読む(人物の背景を思い描いたり、一方的な見方を排する)力」や、「演じることを楽しむ」社会の必要性など、日本人だからこそ磨き上げるべき要素が紹介されている。
特に「文脈を読む力」は、言葉尻を捉えた、不毛なやりとりとにならないようにするための必須要素。
在宅期間におけるネット経由コミュニケーショントラブル防止に効果的だ。
グルーバル化による海外の方々とのコミュニケーションにも活用できるし、日本人内でも求められる要素。
読んで損無しの1冊だ。