もうそろそろ、歴史の見方を変えなければいけないのではないか。
その思いは年々募っていく。
信長や秀吉など、著名な人物や時代に関する情報は更新こそされているものの、従来の説の裏付けか、ありそうでなかったものへの渇望に属するものがほとんど。
いわゆる役割や業績の分析が、これまでの切り口だった。
しかしこれらは現存物の総数や分析に限界がある。
抜けているところを想像や解釈で埋めていかなければならないのだが、そこには「史料重視」の壁がある。
頭打ちの予感が、どんどん漂ってきている気がするのだ。
これからは、「存在論」や「認識論」の切り口もあっていいのではないか。
彼ら(彼女ら)がその時に存在し、かすかな力で時代や慣習に抗っていたその生涯に目を向けていくと、形には残らない(目には見えない)壁が見えてくる。
信玄の正室・三条から娘たち、そして見性院から保科正之へつながれたバトン。
そこには、武田家に棲まう暴力と愛憎のDNAをも継承されていった悲劇があった。
その事実に傷つき、悲しみ、絶望しながらも、愛と幸せを願い続けてきた女たちを描く連作短編集(それ以外の家の作品もあり)
史実を重視し大きな流れを理解した上で、著者の世界観を前提にし、人々の内面に意識を向けていく作品がここ数年増えていると感じていたが、本作もその一作。
彼女らがみたものは善悪でも栄枯盛衰でもなく、引き継いでしまった心の傷の行方。
信玄がみせた裏の顔、義信がみせた愛と憎しみ。
どうすることもできないことを突きつけられながらも、精一杯あがき、次代へ願いを引き継いでいく様に、なんともいえない感情が押し寄せてくる。
平和になった世の中だからこそ、悲しみの連鎖を断ち切る。
その象徴たる保科正之の存在に、圧し潰されてきた願いが見えたのが印象的。
今年話題の贈与論視点でみると、彼女らの思いへの理解がさらに深まる。
新しい歴史小説の流れ、是非感じてほしい。